自由という怖さ

自由


自由とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。(参照:Wikipedia )

らしい。

自由って聞いてどんなことを思い浮かべるだろうか。

多分大抵の何か社会に所属していたり、これから何かコミュニティや組織の中に入る人だったら、自由って凄くポジティブに感じると思う。

自由って良いな〜何にも縛られずに好きなことできるって。
草原かお花畑に立って、両手を天に伸ばし、凄く笑顔の人でハッピーな感じが想像できる。

確かに、他からの強制・拘束・支配からは逃れられるであろう。

がしかし、それが無くなった時、自分の意思があるのか。

ひとつ言っておくと、人間は無い物ねだりをする生き物だ。欲しいものを手に入れたら、飽きる。満足ということを知らない。わがままだな…と思う反面、それがあったからここまで人類は進化してきた。
ある意味、ハングリー精神は人間の根本。

で、話を戻すと、今完全なる自由を得たとして何をする?

大抵の人は全体の中の1人であるため、その枠から抜けた自分を想像したら最高って感じになると思う。

でも実際、さぁお前は今から自由!何しても良いぞ!明日からなーーんもなし!自分の好きなように生きろ!

となった時のことを想像したら、怖くなる。

まさに、橋のない奈落の底がある崖の前に立たされて、さぁ向こう岸まで渡れ!自由に!

と言われたような感覚だ。

自由とは、何もない。孤独と無力。

何もないということは、何かを作らなければいけない。自分の意思で。

何かを作るというのは、何を作るかを決めて行動しないといけない。自分の意思で。

自由になったときに、自分の意思や目標があるかどうか。覚悟と責任はあるか。

自由とは遠くから見渡せばポジティブだけれども、いざ当事者となれば先が見えない不安と、孤独、無力を感じ、コミュニティに飢える。

自由って怖い。

近頃、就職活動で毎日スーツを着て説明会に行ったり、ES書いたり、勉強したり、メール毎時チェックしたりしていて、ふと自由になれたら…と思った。

だけれども、私は去年自由の怖さを知ったので一年前の自分の自由な姿を想像したら大変だなと思った。


自己実現をするには、自分を信じ抜くことが本当に大事だ。

去年感じたけれど、自由な期間孤独に留学資金を貯め続ける生活を半年間送った。

その時は、周りも就活をしていたり、大学留学に行っていたり評価されるレールの上で走っていた。
しかし私はマイナスのイメージが大きいワーホリのために周りの誰からの評価もなく黙々と金を貯め、奨学金制度にも落ちまくっていたから批判されていたようなもの。

その中でも、自己実現ができたのは、未来の目標を常に意識して自分を信じてその時を生きていたから。

周りからどんな風に見られているのか、日本社会で生きるのにワーホリなんて行ってリスキーじゃないのか?
とか沢山考えまくっていたけれど、もう自分のやることに覚悟を決めていたから、あとは自分を信じてやるだけだった。

そう思って動いていたら、だんだん自己実現のために自由をコントロールできるようになりポジティブな自由な生活を送ることができた。

それが自由だったのか、全体の中にいてそこで自由にしていたのか。

新しいことをやる事は、自由な空間であり、それと同時に、0から全てを考えなくてはいけない。大変なことだ。

橋のないところに橋を作るのは非常に大変だ。

自由な空間をどれだけ支配できるかがその人の力なのかなと思う。

就職活動をしていてスーツという制服を着てこれから組織に所属しようとしている立場の人間だからこそ、改めてこのような事を考えた。

自由はリスキーが故に、冒険家にとっては痺れるほど興奮する。


今のチャンスに感謝して、自由にチャレンジしようと思った。

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